【インクルーシブデザイン】
数年前に「授業のユニバーサルデザイン」という言葉が出てきた。
「特別支援の視点を授業に取り入れようー」
とても素晴らしい考え方で、その後の教育に影響を与えてくれたと思う。
しかし、今だから言えるが、当時の授業のユニバーサルデザインは、あくまで一斉授業を「成り立たせやすく」するための考え方だった。(馬鹿にしているわけではありません。むしろ、当時の先駆者の努力があったからこそ、今があるのです。)
1番わかりやすいのは「気が散ってしまうから、黒板の周りは何も貼らないようにしましょう」という教室環境。
確かに気が散ってしまう子どももいるだろう。
しかし、子どもは多様だ。
もしかしたら、授業のルールなんかは(たとえば、人が話しているときはその人の方を向きましょうなど)、黒板の周りに提示した方が、頭に入る子もいるかもしれない。
一人ひとり違う。「これが正解」なんてないのだ。
じゃあドースル??
一応、答えは簡単。
「一人ひとりがやりたいことをやればいい。」
はい、おしまい。
ちょっと待て待て。それじゃあクラスは大変なことになるだろう。
さっきの例でいうと、黒板に「貼りたい子」と「貼りたくない子」がいるじゃない。ドースルのよ。
そう、ここで「対話」とか「折り合い」とかが大切になってくる。(さらにいえば大前提は「信頼関係」!)
たとえば、さっきの例なら「◯◯くんは黒板の周りに提示物があると気が散ってしまうから、基本何も貼らないようにしよう。でも、グループ活動のときは前を向くことが少なくなるから、そのときはルールを提示しよう。」となる。
winーwinの案をお互いに考えていく。
そして、この案はこれで完成というわけではない。「貼るなら、後ろでもよくない?」「黒板じゃなくて、机に貼ったら?」「ルールが書かれた下敷きを作って自分が必要なときだけ出せるようにしたら?」といったように、トライアンドエラーを繰り返しながら、よりよいものを築いていく。
ゴールはないけど、
ないからこそ、いつまでも成長できる。
これぞ「インクルーシブデザイン」。
デザイナーとユーザー(敢えて分けたが本来は境界線なんてないのだろう)が共に創造していくデザイン。
りたりこの野口さんもおっしゃっていますが、結果だけでなく、プロセス自体にも価値がある。
ちなみに、先ほどの例は「理想」です! 僕のクラスはまだこんなことにはなりません!笑
でも、子どもたちが教室で何か一つでも「理想が実現できた!」なんて思えたら、ステキなクラスなんだと思う。(あぁ、ハードルの高いクラス経営だね笑)