春樹元年 〜日経MJと教育をベースに雑多なブログ〜

日経MJと村上春樹のファンです。ブログ名は村上「春樹」ともうすぐ年号が変わるので「元年」をくっつけました。東京都で小学校教師をやっています。「ファンタジスタ(規格外な閃きや創造性で、あらゆる人を魅了する)」な実践を積み上げ、ファンタジスタな教師になることを目標としていました。ただ、今はブログにも夢中です。頭に浮かんだ閃きを整理するために書きます。※本ブログに記載してある内容は個人の意見です。

わかったふり わかったつもり

「わからない」子への指導は意外と楽である。

その子の心に火をつけるのと、もの、場所、時間、ヒトという学習環境を整えれば、けっこう成長が見える。

しかし、

「わかったふり」「わかったつもり」の子への指導は本当に大変だ。

テストでもよくカンニングをして、本来の実力以上の点数を取ってしまう。そうして、実力が伴っていないのに誤った見方をされてしまう。

できていないのにできたと誤魔化してしまう。たとえば、『学び合い』においても、可視化で使う名前マグネットを本当はまだ課題ができていないのに、「できた」に動かしてしまう。
可視化はお互いの現状を確認する大切なツールだ。できる子はマグネットを見て、できない子に支援をしてくれる。しかし、この子はマグネットが貼られていないので支援が来ない。

もちろん、こういう子はクラスには必ず何人かはいるさ。それをどうするかが教師の腕の見せ所なんだけどね。過去には、その子の心に火をつけたり、集団の力を使って、だいぶ意識を変えられた子どももいた。

でも、この子だって好きでカンニングをしたり、わかったふりをするわけじゃないだろう?

本題だ。

「この子にカンニングやわかったふりをさせてしまった、教師や授業に罪があるんじゃないか?」

って、最近ふと思う。

そして、極端な考えだけど、これは「一斉授業」の負の側面に原因があると思っている。

授業中、内容がわからなくなっても、先生が授業を進めてしまう。でも、みんなは発問に対して手を挙げたり、「〜でいいですか?」「いいで〜す!」と楽しいやり取りをしている。自分がその流れを切るわけにはいかない。したがって、傍観者となって、わかったふりをするしかない。

そして、最たる罪は「授業のまとめ」だ。

あれを教師が黒板に書いた瞬間、子どもがノートに書いた瞬間、滝の如く、教師の思考が「教えたつもり」モードに入る。子どもたちの思考も「わかったつもり」モードに入る。

という経験が僕にはあるのだが、皆さんはどうだろうか??

授業のまとめを書いたからって、すべての子が授業内容を完璧に理解したわけじゃないだろう!!

でも授業は進んでいく。だから、とりあえず授業のまとめを書いておく。書いておけば大丈夫。今日の授業は終わりだ。先生から何を言われない。

こうやって「わかったつもり」「わかったふり」の子が生まれ、もちろん内容がわからないからテストでカンニングしてしまうだ。

こんなの授業じゃない。

「授業ごっこ」だ。
「授業ショー」だ。
「授業ダンス」だ。

もちろん、数年前の僕だって同じだった。

そのときの反省を踏まえて、今の自分の授業がある。

教えない。
授業のまとめを書かない。

あぁ、保護者からクレームが来そうだ。

怖いけど負けない、曲げない。信念があるから。

そして、結果を出す!

といいつつ、授業は多様だ。先生によって色々なスタンスがある。

またまた怖いのが、「もと石井先生のクラスの子は来年度大変です」と言われることだ。

授業中、静かにしている子にすれば迷惑かけないのか?
授業中、きちんとノートを取っている子にすれば迷惑をかけないのか?
授業中、すべて先生の言うことをウンウンきいている子にすれば迷惑をかけないのか?

これらも悪いことじゃないけど、

僕はだなぁ、

授業中、「わかったふりをしない」子にしてあげれば、とりあえず自分に合格点を上げたいと思っています。