春樹元年 〜日経MJと教育をベースに雑多なブログ〜

日経MJと村上春樹のファンです。ブログ名は村上「春樹」ともうすぐ年号が変わるので「元年」をくっつけました。東京都で小学校教師をやっています。「ファンタジスタ(規格外な閃きや創造性で、あらゆる人を魅了する)」な実践を積み上げ、ファンタジスタな教師になることを目標としていました。ただ、今はブログにも夢中です。頭に浮かんだ閃きを整理するために書きます。※本ブログに記載してある内容は個人の意見です。

スナ上春樹


夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011 (文春文庫)

 

村上春樹のインタビュー集、一度でいいから読んでほしいです。

いや、600ページ近くある本なので、村上春樹が好きではない人にとっては億劫でしょう。

それならば、数ページでいいです。

古本屋で立ち読みするだけでいいです。

114ページから116ページのあるフレーズ。

ここの文章はとてつもなく力があります。

引用します。

 

今、世界の人がどうしてこんなに苦しむかというと、自己表現をしなくてはいけないという強迫観念があるからですよ。

だからみんな苦しむんです。

ぼくはこういうふうに文章で表現して生きている人間だけど、自己表現なんて簡単にできやしないですよ。

それは砂漠で塩水飲むようなものなんです。

飲めば飲むほど喉が乾きます。

にもかかわらず、日本というか、世界の近代文明というのは自己表現が人間存在にとって不可欠であるということを押しつけているわけです。

教育だって、そういうもの前提条件として成り立っていますよね。

まず自らを知りなさい。

自分のアイデンティティーを確立しなさい。

他者との差異を認識しなさい。

そして自分の考えていることを、少しでも正確に、体系的に、客観的に表現しなさいと。

これはほんとに呪いだと思う。

だって自分がここにいる存在意味なんて、ほとんどどこにもないわけだから。

タマネギの皮向きと同じことです。

一貫した自己なんてどこにもないんです。

 

 

なんて深く突き刺さる言葉なんだろうと思いました。

学習指導要領に書かれているから、流行にノッているから、僕は「表現力」という言葉をたくさん使ってきました。

その言葉の使いみちとしては、子どもに「もっと表現しないさい」と言ってきました。

運動会の踊り、合唱コンクール、授業中の発表も表現の一部に取り込まれています。

そして、学習指導要領に書いてあるわけですから、「これからの時代、表現力がないとやってけないよ」と言っているわけです。

そのブームに乗って、我々教師は「表現だ!表現だ!」と気合い入れるわけです。

 

しかし、村上春樹の洞察は深い。いや、おそろしいです。

にもかかわらず、日本というか、世界の近代文明というのは自己表現が人間存在にとって不可欠であるということを押しつけているわけです。

これはほんとに呪いだと思う。

 

 

の、呪いとは(・・;)

そこまでいうか村上春樹!

 

と、とにかく、

人と違った考えを持つことは一向にかまわないさ。でも、その考えを無理矢理他の人に押し付けてはいけないなぁ。その人にはその人なりの考えがあるからね。

という、スタンスでいきたいものです。

ゴメンなさい、これは「スナフキン」の言葉です。

どんなお偉いさんの言葉よりも自分と目の前の子どもを信じたい。

 

「あんまり誰かを崇拝したら、ホントの自由は、得られないんだぜ。」

 

ゴメンなさい、これもスナフキンの言葉でした。

村上春樹とスナフキンって、なんか似てるよね!


夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011 (文春文庫)